壊れた妹

いままでとこれから

熱海の病院に行こうと思う

奴の頭を引っ叩いて4年以上がたつ。

平手で頭頂部を一発。もちろん軽く。

経緯や原因は追って書くけど、10年以上、親と妹が揉め続け、それを仲裁し続けた末の出来事。

引きこもっているのは全部親のせいだ、東京に行かせろ、そのために親が結婚資金として貯めていた100万円を強引に奪い取り、東京へ行く直前のこと。ありとあらゆる暴言をぶつけられた。

暴力はいけない、そんなことは分かっている。

 

その後、奴は東京に行き、色々仕事をしてたらしい。そこから2年ほど、何も言ってこなかったので、てっきり終わった話だと思っていた。

俺の子供が産まれたときは、祝電?をくれた。

 

だけどそれから一年。

親からの電話。

奴は東京で、生活保護をもらっているらしい。俺の、あのときの暴力が原因で、仕事ができないと言って。

私は怒りを通り越し、無力感に苛まれた。

今までさんざん家族に嘘をつき続け、暴言を吐き、裏切り続けてきた奴。

今回は、生活保護をもらうために利用された。そう思った。

 

その後、奴は生活保護を打ち切る代わりに、実家に帰ってきた。親に連れ戻された。

あれから2年。

あのときの一発のひっぱたきが原因で、頭に異常をきたし、髄液が漏れ、様々な症状が悪化し、何もかも上手くいかなくなった、全部お前のせいだと、奴は俺に、ありとあらゆる暴言を吐いてきた。執拗に。心の底を根こそぎえぐるような、形容しがたい言葉で。ここに全て載せたいが、思い出すだけで頭の血管が切れそうになる。

 

今まで嘘ばかりつき、周りを傷つけ続け、仕事も何もせず、引きこもって寄生しては親に暴言を吐き続ける、まさに屑。友達一人いない。いたのはクソみたいな男ばかり。それはまた、別の機会に吐き出そう。10年の出来事を吐き出すエネルギーは今はない。

 

その末の、正月。

昨年も家族会議だった。今まで良かれと思って、親のために、ずっと間に入ってきたので、こんなことになってしまって、本当に情けない。俺は涙を流した。奴は憎悪の塊の、人殺しのような気違った目で、俺をにらみつけた。あの目は生涯忘れない。

あの後、俺は胃潰瘍になった。その場で、もう終わりだ、俺は悪くないと、親は必死に奴に語った。奴も生返事をした。

 

しかし数か月後。突然また、あの悪意、敵意に満ち溢れたメールが届く。

あいつが何かに躓くたびに、俺を精神的にサンドバッグにしているのはよく分かった。八つ当たりだ。

一体どうなってるんだ。俺は親に言った。親との仲も悪くなりつつあった。盆前に俺は親と喧嘩をした。もう実家には帰らん。あいつがいる限り。お前らがちゃんとせず、俺にばかり頼って、俺が間に入って、こうなったんやろ。こっちこそどうしてくれるんだ。俺は一生、関わりたくないんだ。兄弟仲良く、お前は長男だからしっかりみんなをまとめて家を守っていけなんて、俺にはできない。そりゃ俺もそうしたい。そのために関西に返ってきたんだ。親孝行もしたい。百姓の勉強もしたい。家も田畑も守るさ。でも、だからといって、何もかも俺が我慢しないといけないのか。あんな奴と、仲良くできるはずがないやないか。

嫁さんが間に入ってくれ、なんとか我慢して盆は帰省した。

 

そして今年の正月。俺は気が重かった。実家に帰りたくなかった。本当に嫌だった。奴と殺し合う夢、子供の頭を奴に殴られ、お前のやったことはこういうことだと言われる夢を、何度も何度も見た。

しかし逃げるわけにはいかない。親の立場も理解してあげないといけない。子供どうしが、加害者と被害者に別れ、揉めているのは辛いだろう。なので帰った。

案の定、奴はずっと不愛想で、俺の家族にも不愛想で、さっと飯だけ食ってあとはずっと自室に引きこもっているような状況。

元旦の挨拶の時も出てこない。恒例の、ばあちゃん家への逃亡。うちのオカンとばあちゃんの仲が悪いのを知ってて、ばあちゃんにだけは尻尾を振る。それはどうでもいいんだけど。

 

そして、元旦の夕方、帰ってきた奴はいきなり、俺に大声で叫びだした。

 

帰ってきて調子どうやの一言もないんか!全部お前のせいや!また、あの気違った目。何を言っても、届かない。俺も感情が爆発した。全身が怒りで震えた。心の底から、ぶっ殺してやろうと思った。でも耐えた。殴る価値もない。こんな奴。手を出せば、俺が百パーセント悪者だ。損しかない。

 

急遽家族会議が始まった。まただ。

そこで奴は病院の診察結果をもってきた。病名は忘れた。髄液が漏れている証拠。ブラットパッチという治療法をしているらしい。それを治療できる病院は、熱海にしかないらしい。

しかし親が病院に行こうとすると、頑なに拒絶する。この前はご丁寧に親の生活費を盗んでまで一人こっそり病院に言っていた。今まで嘘と裏切りにまみれてきた奴の言葉を、信じることはできなかった。

 

大体、こうなる前から、奴は仕事も続かなかったし、勉強もしなかったし、親の金を盗んだり、高校で停学をくらったり、出会い系サイトでヤクザまがいの男にはまって2年も家出したり、仕事してると言いながら嘘ついてたり。書き出せばきりがない。私たちは、何度も何度も、裏切られてきた。ここ10年、正月や盆は、両親、俺、弟で、一体どうすればいいのか、明け方まで家族会議をするのが常だった。家出してた2年間は、俺しか携帯で連絡を取れないような状況だった。ヤクザとつるんで家に乗り込んできたらどうしよう。そんな心配が、親を支配した。親父は探偵を雇い、奴とその相手の行方を捜した。大した情報は得られなかった。

 

数か月前まで梅田の百貨店で仕事してたと噂で聞いた母親が、心配のあまりせめて姿だけでも観に行きたいといったことがあった。

父親と弟は反対した。無駄足だと。田舎者の母親は一人で梅田までいけない。なので俺が一緒に行くことになった。1月2日。バーゲンまっさかりの梅田の阪急百貨店。朝7時過ぎに、私たちは梅田に着いた。開店と同時に阪急に入り、地下から最上階まで、何度も何度も、往復して、奴の姿を探す。ときには店員に聞いて回った。昼、どこかの喫茶店で、とてもまずいカレーを食べた。私たちは探し続けた。終わったのは夕方の17時。文字通り足が棒になった。しかし、奴はいなかった。阪急にいたというのは、嘘だった。

 

思い出せば、きりがない。

 

その末の、今年の正月。

奴は言った。第三者を立ててお前を訴えてやる、全部お前のせいだと。

奴は頭が悪いので、そうする意図も価値もないのが分からないらしい。上等だ。やればいい。お前は俺に関わりたくないと言ったが、それは俺のセリフだ。

お前がめちゃくちゃするたびに、おれはいつも、親とお前の間に立たされ続けた。

良かれと思って入った俺も馬鹿だった。奴を思って言った、億千万の言葉も、何一つ届かなかった。

 

これが最後だ。もう関わりたくない。

 

結局、改めて俺が謝る、これで終わり、もう蒸し返さない、暴言もはかない、髄液?の件は、今まで通り親が責任を持つ、だからすべて吐き出せ、それでその会は終わった。

 

最後、俺は奴と二人で話した。

俺は奴に、優しい言葉をかけた。俺に言う資格はないけど、人生なんとかなる、俺も一杯失敗してきたけど、なんとかなってきた、だからお前も、今はしんどいだろうけど、病気をしっかり治しつつ、前を向いて生きるんだ、人を遠ざけるような悪い言葉は決して吐いてはいけないてはいけない、他人のことなんて結局外見と言葉でしか判断できないからなおさらだ、親兄弟に対して何をしても行ってもいいというのは間違ってる、親兄弟だからこそ、揉めたらとことんまでいってしまうんだから、親しき中にも礼儀ありで、しっかりしないといけない、お前が前を向いて、例えば婚活したいんなら、俺がいくらでも男を探してきてやる、勉強や仕事、何でも聞いてくればいい、そして新居にも遊びに来い。そんな言葉を語りかけた。母親譲りの甘すぎる、お人よしなところ。父親譲りの、不器用で損しかしないところ。我ながら甘すぎて反吐が出る。

奴は、さっきまでの狂気に満ちた見開いた目がうそのように、ボーっと下を向き、黙って聞いていた。きっと聞いてなかったと思う。今までも、そうだったからだ。

 

しかし、俺の気持ちはどうなる。この胃潰瘍と頭痛は、どうすればいい。いつも頭がこのことで一杯だ。

実家から帰ってきたあとも、ずっとこの問題がグルグル回り、何にも集中できない。精神に異常をきたす。嫁さん子供にも悪い。

 

今朝、実家から持って帰ってきた昔買った本を整理していた。人生訓。メンタルコントロール。成功のためには。そんな自己啓発書を読みながら、ふと私は気づいた。

(奴が自分で望んだとはいえ)真っ暗な世界の底に一人いる妹にこそ、この言葉を届けたい。この本を、読んで欲しい。

妹のことばかり考えてしまっていた。お兄ちゃん心が、まだ残っているんだね。そう嫁さんに言われて、はっと気づいた。

 

そして俺は決めた。

熱海の病院に、行こう。

親と一緒に行き、お医者さんに教えてもらう。

頭を軽く一発ひっぱたいただけで、髄液が漏れてこんなことになるのは、本当なのか。

どんな症状なのか。(奴は山ほど症状をすらすら吐いた。記憶障害という割にはすらすらと)

これまでの経緯は。

この治療法で、奴の症状は、いつ治るのか。

髄液の問題が事実なら、髄液の問題と、メンタル、性格の問題は、切り離せないのか。

 

何も答えは出ないかもしれない。全て嘘かもしれないし、真実かもしれない。

でも、家族みんなが、事実関係を整理し、これからどうするべきか、ベクトルを合わせることが、必要なんじゃないか。そう思った。

今度の治療は、4月とか言ってた気がする。そのとき、熱海に行こうと思う。

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